須田知身

BUSINESS CREATION 事業創出

新たな価値を創造すること

古い企業から新しい企業へ これは社歴ではなく、『事業の鮮度』である。 外部環境や顧客の要望は常に変化している。いかなる事業でもいつかは売れなくなる。 新たな商品や販路を開発したり、新たな事業を興こすという価値を創造することである。

INTERVIEW1 群馬県高崎市
ライフスタイル群栄株式会社 会長 小澤 卯一

須田さんとお会いしたのは十五年程前でした。
私が勤めた会社を定年退職する時、有田邦夫さんから創業しないかと持掛けられ、『町の便利屋さん』としてライフスタイル群栄を立ち上げたのですが、中々お客様が捕まらない。そんな時に須田さんを紹介されたのですが、「草むしり」の仕事には『プロの技を特とご覧あれ』、「大工のしごと」には『小さな大工さん』、「植木の剪定」には『植木の床屋さん』などと次々にネーミング、キャッチコピーを生み出し、それが次々にヒットしてお客様の獲得に繋がったことを良く覚えています。それまで、総務財務系の仕事をしてきた私には、適切なネーミングやキャッチコピーの効力がそれ程の力を持っていることを知らず、大変な衝撃を受けたことを覚えています。

また、須田さんは決断が早く、スピード感があります。ビジネスモデルを考える時は必ずシステム化、マニュアル化、サービス評価のフィードバック方法等を同時に考えています。唯、須田さんがどんなに素晴らしい発想をしても、それを具現化するのは受け取る私達ですので、そこを勘違いして須田さんに頼っても駄目です。信じて実行し続けた方は成功していますよね。

須田さんは、信長タイプの一風変わった方で、と言うよりカリスマ性が高いと表現した方が良いかも知れませんね。

INTERVIEW2 日本労務センターグループ
代表取締役 山田 恵一

私は小学生の時から、将来の夢は社長になる事でした。大学4年生の時に社会保険労務士の資格を取り、就職先も東京の事務所に決まっていたのですが、友人には自分はいずれ独立すると言っていた事が友人を通じて、当時高崎に労務管理センターを立ち上げて若い社会保険労務士に経営させようと企画をしていた須田さんや有田さんの耳に入り、声を掛けられた事が出会いでした。卒業後、内定していた事務所に就職したのですが、三日で辞め路頭に迷っていた時、お二人の事を思い出し連絡したところ快くお会い頂き、更に、将来高崎で起業する事を条件に静岡の労務管理センターを紹介頂いたのです。

静岡に行った私は仕事が楽しく、生活も向上して行ったのでいつか独立の事も忘れていたある日、須田さんから「そろそろ高崎に戻ってもいいんじゃない」と連絡が入りました。人間と言うのは怖いですね、生活が安定すると夢を忘れかけてしまう。今ある保証された生活を捨て、将来の分からない高崎で独立するのですから随分と悩みましたが、心を奮い立たせて自分の夢と、信じて静岡に紹介して頂いた須田さんとの約束を守る為に高崎に戻りました。

その後、私を育ててくれた静岡の金丸晶徳先生が御逝去され御遺言で私が後を引き継ぐ事になりましたが、あの時の出会いと、あの時の呼び戻しが私の現在を拓いてくれました。それからは、四,五件一緒に事業再生の仕事もしましたが、彼は最初冷たく「このままでは潰れます。」と言い渡します。しかし、「山ちゃん、お金だけではないよ。目の前で倒れるのを分かっていて、放っておけるかい。」などと言いながら、助力を求められたら最後まで遣り通す人です。でも、キョトンとした顔をしていて、驚いて水面から顔を出したカワウソみたいな顔をしていませんか?

INTERVIEW3 株式会社そうじの力
代表取締役 小早 祥一郎

私が須田さんに出会ったのは十年程前です。それまで努めていた会社を辞め、茨城にある天命舎に弟子入りしてお会いしました。須田さんも天命舎で学んだ先輩で、他にも多くの高崎在住の経営者の方々が参加されていて、それが高崎での勉強会に月二、三回出席するきっかけとなり、次第に深い付き合いとなって行きました。

創業当初から須田さんは、私の事業についていろいろなアドバイスをしてくれました。彼はいつも、早朝三時半頃から熟考していて、朝食の時にいきなり、「小早さん、これどう思う?」とか、「こんなのどう?」とか言い出したりします。創業後数年して、当時企業指導カリキュラムの一環として環境整備を取り入れていたのですが、ある時、雑談の途中に、須田さんがいきなり「環境整備指導専門会社ってどう?」と突然言い出しました。「え?」と思ったものの、それがヒントとなり、現在の「㈱そうじの力」への始まりとなったわけです。その後は、現在に至るまで、私のお客様からの経営相談などで、須田さんの力をお借りし、一緒に泊まりで出張する事も多々あります。

彼は、いつでも常に何かを考え続けている人です。破天荒でハチャメチャですが、誠実な人です。「翔んでる」と言えばいいでしょうか。歴史上の人物で言えば、『坂の上の雲』の秋山真之ですね。 でも、私にとっての存在は、「兄貴」そのものです。

INTERVIEW4 (株)草むしり 代表取締役 宮本 成人

十年前ある会社に勤務している時に、社長から「輪読会」に参加を促されました。その会は良書輪読を行っており、須田さんも参加していたのが出会いでした。

その後、会社を辞め、次の会社では上手くいかずに直ぐに辞め、二度とサラリーマンはするものかと思い、独立して地域情報発信事業として「たかさき.Com」を創業しました。その頃に「目覚ましお掃除会」の代表小早氏から須田さんが会いたがっていると連絡が入り面談することになりました。
「宮本さん、今、何をやっているの?」と聞かれ、たかさき.Comの話をしますと、「それはそれでいいけど、生活できないんでしょ?宮本さんにぴったりの仕事あるんだけど、やってみる?」と持ちかけられました。
それが草むしり業でした。一応お誘いを受けることにしました。
当時、2週間に1回朝5時からミーティングをしていました。2009年5月からチラシ配りを始めたのですが五里霧中の状況でした。報告をすると、「良いね、宮本さん凄いよ。」と褒めてくれるのですが、実はちっとも凄くないんです。業績は上がらず何をして良いか分からなくなっているのに褒め上手でその気にさせてしまう。須田さんはデータ分析が上手で、50枚チラシを配れば1件注文が入ることを指摘してくれました。

「10人お客様を獲得するには500枚配ればいいんじゃないの?じゃあ、100人のお客様なら?」そんなミーティングでした。そして、お客様が100人になればお客様がお客様を呼ぶ様になるよ。と言われ、この言葉だけを信じひたすらチラシ配りを続けました。結果、須田さんの言われた通りとなり、それから3年間それだけを支えに走り続け、お陰さまで今では400名を越すお客様となり事業も順調に推移しています。

今思うと、須田さんはAKB48を生んだ秋元康さんみたいですよね。一人々々の性格や経歴を十分吟味して、その人でなければ出来ない究極のビジネスモデルを創ってくれる方です。

INTERVIEW5 株式会社駐車場をさがせ 代表取締役 船越谷 尚彦

私は、高崎市地元の大学である高崎経済大学に入学し、三年生の時、「経営戦略、ベンチャービジネスを研究するゼミに参加していました。群馬の経営者の方を講師にお呼びし勉強会を開催していましたが、その例会の顧問が須田さんでした。

その頃、東京のベンチャー企業に事業企画書を提出したところ採用され、在学中からその会社にインターンとして勤務することになりました。企画した事業の成功後、その会社の仕組みに不信を持ち、4年の秋に退社。その後、自動車リユース事業を開始するにあたり、須田さんに連絡をしてビジネスプランの相談をしていました。そんなことから須田さんが経営する株式会社エスク内の「駐車場をさがせ事業部」に勧誘されたのですが、将来経営のプロ、経営コンサルタントを目指していた私は経営経験が必要と思い参画させて頂きました。従業員は私の他二名。何も指示されず、ああしろ、こうしろとか、何が正しいか何が間違いかとか何も言われませんでした。ただ、毎月一回の面談を須田さんと行うだけでした。須田さんは経営者を育てる時、必要以上には物を与えない人です。過保護にせずに育てます。

お陰さまで、経営者として自ら考え、行動する力を醸成する事が出来、二〇〇九年十月二十日、独立を希望し現在の「株式会社駐車場をさがせ」の設立に至りました。

今考えると、須田さんは、私の人生のターニングポイントに必ずいる人でした。須田さんは、軍師です。経営者に仕える軍師ではなく、経営者を育てる軍師です。